THE BOYS&GIRLS(通称ボイガル)のライブを見るために札幌に遠征したので、メルの跡地に行ってきました。移転先ではなく、あえて移転前の住所に行き、筆者が見たものとは…!追体験しながら歌詞考察をする記事。
そうだ、メルの跡地に行こう
筆者は、好きな楽曲の歌詞に出てくる場所や、楽曲の由来になっている場所に、実際に行ってみるのが好きだ。ボイガルは札幌のバンドなので、筆者が住んでいる東京では、二子玉川くらいしか行ける場所がない。
だが、今回はライブを見るために札幌に遠征したので、行ける場所が山ほどある。札幌はボイガル聖地の宝庫だ。
前回の記事でいろいろな場所を紹介したが、今回の記事では『メル』という曲に絞って話を進めていく。ただのファンが追体験をして楽しんでいるだけの記事なので、気楽な気持ちで読んでもらえたら幸いだ。
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『メル』は、THE BOYS&GIRLSの1枚目のアルバム『バックグラウンドミュージック』に収録されている曲で、「メル、一輪だけでいいから」「メル、教えてよ」など、“メル”と呼びかける歌詞が出てくる。最初は女の子の名前かなと思っていたのだが、実際は、札幌にあるmeLL flowersというお花屋さんが由来になっているらしい。これを踏まえると、メルというお花屋さんに花を探しに行く曲だと解釈できそうだ。
meLL flowersというお花屋さんについて調べてみたが、現在は移転し、作詞当時の場所にはもうない。つまり、完全な追体験はできない。とはいえ、歌詞の冒頭には「歩道橋」や「交差点」など、お花屋さんの建物というよりかは、その周りの景色を描いたような言葉が出てくる。ならば、跡地に行ってみよう、と思い至った。
メルってどんな曲?
花は人の心を癒してくれるものだと思う。花があったからといって悩みがなくなるわけではないが、花があるから穏やかな気持ちになることはある。音楽も同じで、誰が何を歌おうと自分が立ち向かっている壁が崩れてくれるわけではない。でも、音楽を聴くと、もう少しがんばってみようと思えることはある。
『メル』の歌詞に出てくるのは、“花”と“歌”だが、こういった、直接的に問題を解決できるわけではないけれども、自分を支えてくれるもの、というのは花や歌以外にも、いろいろなものがあるだろう。絵や文学などの創作物、空や植物などの自然、誰かの笑顔、身近な人の何気ない一言。何が支えになるかは人それぞれだ。
『メル』はどうしようもないしんどさとか、救ってくれそうなものを求めてしまう切実な気持ち、すがりつくような心情がぎゅっと詰まった曲だと思う。花に限らず、自分の心を癒してくれるものを、聴き手がそれぞれ思い浮かべて聴ける曲だと思う。聴き手が自分の想いを投影できる余白が用意されている抽象的な歌詞だと感じるし、それは『メル』という楽曲の大きな魅力だと思う。
前置きが長くなったが、現地に行けない人も一緒に追体験できるような文章になったら面白いなと思うので、筆者の楽曲に対する捉え方などを事前に書かせてもらった。
人それぞれの捉え方があると思うので、それは何よりも尊重されるべきだと思うけれど、ひとまずここからは、筆者になったつもりで読んでもらえると嬉しい。それでは、レッツゴー!!!!!
メルの跡地に向かう
創成川のほとりで朝ごはんを食べた後、メルの移転前の住所をマップに入力し、そこに向かって歩いた。移転前の住所は、メルのホームページから拾ってきたので、おそらく合っているはずだ。
豊平川という、創成川よりも大きな川に沿って歩く。風が少し冷たかったが、清々しい気持ちよさがあった。大きな川が街から徒歩圏内にあるところが、筆者的札幌の大好きポイントである。筆者の住んでいる場所では、川を見たいと思ったら電車に乗らなければならない。
マップの矢印が左方向を指した。豊平川を渡って、学園前駅側に歩くらしい。豊平川を渡る橋を越えると、歩行者用の信号機。青になったのを合図に、橋から離れ、学園前駅に向かって歩いた。
道路には朝から多くの車が行き交っていた。歩道を進むと、遠くにエメラルドグリーン色の歩道橋が見えた。泣きそうになった。なぜ歩道橋を見ただけで泣きそうになったのか、それはメルの歌詞のせいだ。
「橋を渡ったところの歩道橋すり抜けたら」
これはメルの冒頭の歌詞である。メルの跡地に向かうまでの道のりが、あまりにも歌詞のとおりだった。豊平川にかかる橋を渡って、信号待ちをして、横断歩道を渡ったら、すぐに歩道橋が見えたのだ。
もちろん、何か面影があればいいなと期待をして跡地に向かったわけだが、ここまで歌詞そのままの景色が広がっているとは思いもよらなかった。「まじだ、まじなんだ。ここの歌なんだ。」と思うと、胸がいっぱいになった。
筆者は東京に住んでいるから、余計にグッときたのかもしれない。ボイガルに関連する場所で、行きたい場所はたくさんあるが、どれも遠くて行けない。行ってみたいな、と思いを馳せるばかりである。だからこそ、歌詞の世界を目の前にできたことが異常に嬉しく、込み上げるものがあった。
「その先で無意識に僕は赤を狙うだろう
夕方には向こうから西日が照らした おとぎ話は序盤
溶け出した三月にハンドル取られながらゆっくりとブレーキをかける」
これは先ほどの歌詞の続きである。
歌詞に出てくる“赤”が何を指すのかが一つの疑問だった。夕日にかかっている気もするし、ブレーキにかかっている気もするし、シンゴさんのトレードマークである赤いコンバースもなんとなく脳裏に浮かぶ。筆者の友人は、お花屋さんの前に並ぶ赤い花を目指しているのかもしれないと言っていた。その解釈もとても素敵だと思った。
実際に行ってみて、歩道橋をすり抜けたその先に広がっていたのは、交差点だった。いろいろな意味がかかっているのかもしれないが、ストレートな解釈をするのであれば、赤信号の“赤”だろうなと素直に思った。車でメルに向かう歌詞なのだろう。「赤を狙う」というのは、「停車したい」という思いがあるということになる。
筆者が行った時は青空が広がっていたが、歌詞の舞台は夕方である。おそらく向こうから夕日が照らして、さぞかし美しく、懐かしく、寂しくなるような光景だったのだろうなと想像した。
もしも筆者が車でメルに向かっていて、向こうから夕日が差したら。交差点で赤信号に引っかかれば、少しの間、ゆっくりと夕日を眺められる。無意識に赤信号を狙うかもしれない、と思った。
「ひとり見上げて黒い横文字に
「また来るよ」なんて交差点に残す」
これは続きの歌詞だ。“黒い横文字”が何を指すのか、も気になっているポイントだった。交差点名とか道路名とか、なんかこう、標識的なものなのかな~と予想していた。突然公表するが、実は、黒い横文字を探す、というのが筆者が跡地に行きたいと思った一番の目的だった。
「交差点に残す」という歌詞が後ろにある時点で、おそらく場所はここから動いていない。ここだ、ここのどこかにあるはずだ、と思いながら、交差点をキョロキョロと見回した。「ひとり見上げて」という歌詞があるから、視点は上の方。
やっぱり標識だろうなと思ったが、標識の文字は青かった。「青」という言葉を歌詞に入れると、赤と同様、いろんな意味がかかってしまいかねない。青春とか、未熟さとか、空のイメージとか、いろいろ。そういうのを含めたくなかったから、実際は青文字なんだけど、歌詞は「黒」で表現したのかな、と考えて、標識で納得しようとした。
だが、なんとなく腑に落ちなかった。違う答えがある気がする。交差点の角の建物に寄りかかって、イヤホンでメルを聴きながら、ぼーっと交差点を眺めた。
見上げて目に入るものといえば、やっぱり標識と信号機。それから…電線。そのとき、電線が五線譜に見えた。一本ではなく、何本も並行して横にかかっていたから、そう見えたのだと思う。
ひとり電線を見上げて、黒い横線を譜面に見立てて、鼻歌を歌いながらメロディを生み出して、メルという楽曲をこの交差点に残したのだとしたら。歌詞ともぴったり合う。
そもそも筆者がこの場所にいるのは、メルという曲があったからだ。この曲が残されていたから、来てみたいと思ったのだ。メルというお花屋さんは移転してここにはもうない。東京から来ているし、普通に観光スポットを巡っても楽しいはずだが、それを諦めてでも、この何もない交差点に来たいと思ったのだ。
「またここに来るよ」という思いで残されたメルという楽曲が、筆者をここに来させたのだ。そこまで一気に考えて、ぶわっと鳥肌が立った。この解釈、やべえ。
だが、筆者は努めて冷静に自分に問いかけた。「この解釈、あまりにも自分勝手に拡大しすぎていないか?」と。これは完全に筆者の主観だが、シンゴさんの書く歌詞は、シンプルだが心に響いて仕方がない、という刺さり方をするところがある。それがめちゃくちゃかっこよくて、筆者は彼の書く歌詞が大好きなのだ。
想像力を膨らませまくらないと解釈できない歌詞ではなくて、もっとシンプルな気がする。そう考えると、「電線=黒い横文字」という解釈が腑に落ちなくなった。
しかも、ずっと交差点にいるけれど、メルの店があった場所は一体どこなんだ、まずそこからだろ、と自分に言い聞かせ、再びマップを開いた。
「えっ」と思わず声が出てしまったのだが、メルがあった場所は、筆者が寄りかかっていた建物だった。つまり、交差点の角。交差点を過ぎてもっと進んでいくのかと思っていたのだが、もはやここがゴールだった。そこですべてが繋がった。
橋を渡ったところの歩道橋をすり抜けて、赤を狙うのは、目的地が交差点の角だからだ。ブレーキをかけないとお店を通り過ぎてしまう。夕日も見たかったもしれんよ?見たかったかもしれんけど、もっと現実的な問題として、そもそもブレーキをかけないと店に入れないわけだ。めちゃくちゃ納得である。頭の中で「スッキリ~~~~~!」という効果音が流れた。
ブレーキをかけたら、すぐにお店の敷地に入っていくわけだから、次に目に入るのはおそらくメルの看板である。meLL flowers。あ~、横文字だ。思いっきり横文字だわ。電線とか言っていたの誰?それただの横線じゃんか(笑)
見たまんまの景色を歌詞に落とし込むシンプルさ、非常にシンゴさんっぽい。しかも、「また来るよ」って帰り際にもう一度お店の看板を見上げて思うかんじとかも、非常にシンゴさんっぽい。なんというか、お店の名前を大事にしそうな気がするから。あまりにもしっくりくる。これが正解かもしれない。
とはいえ、解釈はあればあるほど良い。例えば、筆者はこの先、メルを聴くときは、橋と交差点とメルの看板を思い浮かべながら聴くが、同時に、夕日の解釈や電線の解釈があったこともきっと同時に思い出す。なんだかそれがとても豊かで素晴らしいというか、楽しいなと思うのだ。
なので、この記事を読んでいるあなただけの解釈がもしもあるのなら、それを大事にしてほしいなと思う。この記事は、解釈の幅を広げて、楽しみ方を増やすための文章にしたいと思って書いている。誰かの解釈を否定したくはない。この思いだけは伝わってほしい。
メルの魅力を再発見
ここまでで紹介した冒頭の歌詞は、おそらく橋を渡って歩道橋をすり抜け、交差点で停車してお店に入り、看板を見上げて帰るという、すごく具体的な描写だった。
しかし、この後の歌詞は抽象的な表現が続く。曲の入りが具体的な描写で始まって、後半に近づくにつれて内面的で心象的な描写になっていくのが、とても美しいなと思った。
苦しくて、寂しくて、不安で、でも、それらを抱えたままなんとか歩いていきたくて、花を求める。誰にでも見ることのできる外の景色の描写から、誰にも見せられない内面の心の描写に繋がっていく。なんて音楽家らしい歌詞なのだろう。
分かっているつもりではいたが、改めて、やはりメルは名曲だ。
例えば、この曲に冒頭の歌詞がなくて、サビの部分からだったら、それはそれでまとまりがあって、抽象的な歌詞の曲として美しかったかもしれない。でも、それだと筆者はこの曲をもっと心の遠くに感じたかもしれないなと思う。
冒頭の歌詞があるから、そのときその場所に確かに存在する人間が書いた歌詞としてのリアリティがあり、この人もこんなふうに一輪の花にすがりたくなったりするんだなというか、こうなるのは自分だけではないんだなと思えるし、この曲を身近に感じられるのだと思う。
筆者は別の記事でメルのことを、心の絆創膏のような曲だと書いた。心に直接貼ってもいいと思えるくらい、心のすぐ近くに寄り添ってくれる曲だと感じている。
抽象的な歌詞で、自分の思いを投影できる余白のある曲だから、こんなにも寄り添えるのだと思っていたが、跡地に行ってみて、冒頭に具体的な描写があり、その後に抽象的な描写が続く、この構成だから心の近くに来れる曲なのかもしれない、と思い直した。
これは筆者にとって大きな発見だった。現地に行ってみることによって見えるものが確かにある。だからこそ、次は夕方にも来てみたいなと思う。夕日なんて見たら、いよいよ泣いちゃいそうだな。あ~、大好きだ、メル。
まとめ
ここまで読んでいただきありがとうございました。前回、【ボイガル日記】と題して「二子玉川へ行って二子玉川ゴーイングアンダーグラウンドを聴いた話」という記事を投稿しました。
この記事で二子玉川ゴーイングアンダーグラウンドを好きになったと言ってくれた方がいたことがとても嬉しく、今回の記事も、メルをより好きになるきっかけになればいいなと思っています。
歌詞の捉え方に正解はありませんので、あまり鵜呑みにしすぎず、メルの跡地ってこんな場所なんだ~とか、こういう見方もあるのか~と、横目で眺める程度に楽しく読んでいただければ幸いです。
あと、この記事では跡地と連呼していますが、閉店ではなく移転なので、移転先に行けば実際にお花屋さんを見ることもできます。筆者は東京在住なので、持って帰るのも大変そうだなと思い、メルでお花を購入する機会がなかなかありません。
とはいえ、いつか札幌に1ヶ月だけ住むというのをやってみたいなと思っていて、そのときにメルでお花を買って、部屋に飾った状態で過ごしたいなという夢をひそかに抱いています。
もし叶ったらそのときは記事にしますね。題名はそうだな、【ボイガル生活】?・・・もうちょっとマシな題名があればぜひ教えてください(笑)
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