CRYAMYが作った私の世界

CRYAMYの音楽が、私の痛みに寄り添ってくれた記憶を、残しておきたい文章。私の痛みを昇華するための作業。

2020年にCRYAMYに出会った。建国物語ツアーはかなりの本数行ったし、売上総取ワンマンツアーは全通、時速36kmとのスプリットツアーも全通した。それらで満足したので、2023年以降は足が遠のいたが、2024年のツアーの札幌公演と野音でのワンマンは見届けた。

CDを購入したときについてきたポストカードの裏に、「痛みを抱えている人のための音楽」と書いてあるのを見たとき、私のための音楽ではないのだなと思った。その言葉を見る前から、それはずっと思っていた。孤独感や劣等感はあれど、私に大きな痛みの記憶はなかった。CRYAMYを本当の意味では理解できないという感覚があった。

野音でのワンマンは物凄くかっこよくて、さすがCRYAMYだ!と思ったけれど、最後まで私はCRYAMYのことが解らなかったなと思った。解らないけど、めちゃくちゃ好き。それで良いと思った。このかっこいい音楽、かっこいいバンドに出会えたことを、ただただ誇りに思った。
2024年9月、夫に離婚してほしいと言われた。私は彼との生活にまったく問題を感じていなかったので驚いた。私と彼は高校の同級生である。出会って13年、付き合ってからは10年。青春時代と20代のほとんどを捧げた。

私は家庭を安全地帯と考えていて、ただそこに居てくれるだけで良かった。彼とどこに行きたいとか、何をしたいとかはあまりなくて、ただ共に暮らしたかった。それで幸せだった。けれど、彼にはこの感覚が淡泊に思えたらしい。もっとぎゅっとした関係を、求めていたのだと思う。

私は人と暮らすということが好きだ。けれど、人とお出かけするのは好きじゃない。楽しんでいることを表現し続けなければならないかんじが、息苦しい。無表情でも、話さなくても、それでも良いと思える空間が好きだ。落ち着く。けれど、彼はそういう空間は、寂しいらしい。

彼と生きていくことを前提に組みたてられていた人生設計が一気に崩れ、宙に放り出されたような感覚になった。東京なんて、彼のために引っ越してきただけで、なんの所縁もない。完全に独りだ。吐き気がした。
悩んだときや暗い気持ちになったときは、いつも音楽に頼ってきた。でも、今回ばかりは、音楽を聴こうという気持ちになれなかった。常に吐き気がするから、何かを外から摂取するような気には、到底なれなかった。

けれど、CRYAMYの『月面旅行』の歌詞が、ふっと頭に浮かんだ。

「ああ このまま幸せになると思っていた
「愛されちゃいたい」と思っちゃって
馬鹿なくせに笑って息してたら良かったのに」

あまりにも私の感情とリンクする。彼はずっと悩んでいたようだが、私はその気持ちにまったく気づいていなかった。何も知らずに能天気に笑って過ごして、今思えば、馬鹿みたいだ。馬鹿なままでいられるなら、それで良かったのにな。今は息を吸うことが、こんなにも難しい。

この曲だったら、聴けるかもしれない。でも、この曲で無理だったら、もう音楽には頼れない。そんな恐怖を抱きながらも、イヤホンをつけて再生してみたら、吐き気が治まった。自分の感情で胸がはちきれそうだから、巻き起こっていた吐き気。CRYAMYの音楽には、ぐちゃぐちゃになった私の心を、歌詞と音で具現化し、少しだけ外に排出してくれるような力を持っていた。

幸せなときにCRYAMYの音楽を聴くと、せっかく幸せなのに、暗い気持ちになってしまう事がある。けれど、本当に苦しいときに聴くと、CRYAMYの音楽には、感情の排出口をスッと作ってくれるような力がある。

いつかのライブのMCで、「助けてほしいときは、助けてあげますよ。」と言っていたカワノさんのあの言葉は、本当だったようだ。いつも聴くわけじゃない。けど、本当に助けてほしいときに、手を伸ばすのはCRYAMYの音楽だし、その手をしっかりと掴むような強さが、CRYAMYの音楽にはある。
苦しい結末にはなったが、彼との10年を無意味なものだとは思いたくなかった。そう思ってしまったら、いよいよ私は崩れてしまうと思った。だから、彼とのこれまでを美化することにした。

想い合った期間が確かにあったこと、今後生きていく上で、愛し愛された経験は、お互いの強さになるだろうこと、共に暮らさないとしても、お互いが人生において重要な人物だったことは動かぬこと、お互いの命は続いていくこと。

これらの思いには、CRYAMYの『プラネタリウム』という曲がぴったりだった。

「願っているよ 叶うように
悲しい思いをしなくてすむように
願っているよ 叶うように
祈った言葉が空に星と溶けてゆく」

この曲の思いは、相手には絶対に届かない。相手に伝えるのではなく、ただ願い、祈っているだけ。その先にあるのは、空と星。だけど、誰にも届かなくとも、祈るしかない、その切実さが、私の心を代弁してくれたような気がした。

分かりやすい愛情表現はあまりできなかったかもしれないが、私には、彼がどうなっても傍にいる、と覚悟を決められるくらいの愛があった。結婚するとは、そういうことだ。

だからこそ、離婚を切り出されたとて、愛が消滅するわけではない。その行き場のない気持ちを、空に飛ばし、星に溶かすことが、唯一私に許されたことだった。そういう、やり切れない感情の排出口に、この曲はなってくれた。
『月面旅行』と『プラネタリウム』をきっかけに、聴ける曲が少しずつ増えていった。次に私の支えになったのは、CRYAMYの『まほろば』という曲だった。

「何度でもその手を取ろう それを時間と呼ぼう」

この“時間”の定義を、私はとても美しいと思う。私と彼はいろんな部分で考え方や感覚の合わないところがあった。付き合って数年で終わっていても当然だと思えるような障壁がたくさんあった。けれど、それらを乗り越えながら、私たちは合わないのかもしれないと心のどこかで思いながら、何度だって手を取ってきた。その時間が、10年だ。

もう、これがすべてだと思う。結末がどうだったとか、そういうことを考えると絶望的な気持ちにはなるけれど、何度だって手を取ってきた長い時間を、誇りに思う。10年間、手を離さなかった。この事実を、愛と呼びたい。
そうやって、これまでの10年を肯定していく中で、人にはそれぞれの役割と沿うべき期間というものがあると、思うようになった。別れることになったからといって、失敗ではない。最後まで添い遂げなかったとしても、私と彼が出会い、お互いにしてやれること、その役割を果たし終えるまでの期間、つまり沿うべき期間が10年だった。きっと、それだけのことなのだ。

彼にとっての私は、最後まで一緒に居るという役割ではなく、最後まで一緒に居る人に出会えるまで生き延びるための強さや、そういう人と出会ったときに上手く関係を構築できるための柔らかさを身につけるのに必要な人物だったのだと思う。

そういう意味で、彼の幸せに加担できたのなら、それで良いか、と思う。

CRYAMYの『物臭』の、「深刻な顔をしたあなたが唱える理想とか いろいろ守ってやれるなら重い腰だってあげるけど」という歌詞も、私の心と一致した。彼と離れるのは精神的苦痛を伴うし、腰は重いのだけれど、私とでは理想が叶わないと言うのなら、私はその重い腰を上げたいと思う。

『誰そ彼』の、「あなたを閉じ込めていた黄昏 私を待つのは君と黄昏 構わずに幸せへ向かって行け 見えなくなったらもうさよなら」という歌詞もしっくりきた。別れの切なさと背中を押す強い愛を表現した歌詞だと思うが、そこに“黄昏”というニュアンスが入ってくるところが良い。

黄昏という言葉自体が、いろんな意味を含む言葉なので、解釈は無限大だと思うが、“あなたと私がいた幸せな時間”を、黄昏という言葉で表現しているように私は思える。あたたかくて、懐かしくて、ちょっと淋しくなるような、でも人生において強い光を放っていた、あの空間。過ぎ去ってしまった、もう戻らない時間だからこそ、振り返るとすごく美しく見える景色。

そして、そういう日々を「あなたを閉じ込めていた」と表現するところが苦しくて、良い曲だなと思う。当時は、お互いが一緒に居たくて居たはずで、自由にのびのびとやっていたように思っていたのだけれど、別れるという結論を出した今となっては、あれはあなたを閉じ込めていた期間だったよね、と思ってしまう。ゴールだと思っていたけど、寄り道というか、あなたを独り占めして足止めさせてしまったね、と。

これは私が好き勝手に書いている解釈だが、こういう風に聴いたら、私の状況や思いとぴったりなのだ。この歌詞を、時に叫ぶように、力強く歌ってくれることに救われる。強くあらねば、と思う。強い気持ちで背中を押して、強い気持ちで私はこれから先を一人で歩いていかなければならないのだから。離婚するとなってから、一番聴いたのは、この曲かもしれない。

嫌いになったから離れるのではなく、愛したまま離れるのは、グロテスクな痛みを伴う。でも、とても儚く、美しくも見える。グロテスクなのに、どこか綺麗だ。こういう痛みを、CRYAMYの音楽は表現してくれる。浅い失恋ソングじゃ、これを表現できない。切ないとか寂しいとか、そんなもんじゃない。グロテスク、なのだ。これを表現できる音楽は、そう多くない。だから、しばらくCRYAMYしか聴こうと思えなかった。
と、ここまでは綺麗な感情でいられたのだが、実際に転居先を決めて、荷造りをして、契約するネットの回線について調べて、市役所に住民票を取りに行って、転居届を出して、みたいなことをやっていると、何故いきなり離婚を迫られて、こんなにも面倒な事務手続きを私がやらなければならないのか、という感情が当然湧いてくる。

彼の幸せを願っているけれど、10年の思いを無碍にされ、切り捨てられたという憎しみもある。離れるとなると愛に憎しみが混じってしまうほど、私のかけてきた思いと時間は重かった。文字通り、人生を懸けた。

CRYAMYの『easily』をずっと聴いている。優しい気持ちを維持するのに、疲れた。憎しみに染まりそうな自分への嫌悪感にも、疲れた。この曲を聴くと、自分の中の嫌な感情をちょっと吐き出せる。そうやって心に風を通して、保っている。

彼と出会えたから、今の私がいる。彼には感謝している。運命の人だったと思う。けれど、愛だけでは語れない、複雑な感情がある。彼は私のすべてを受け入れてはくれなかった。
9月頭に離婚を切り出されたが、10月から転職することが既に決まっていたので、9月中に転居先を決め、荷物をまとめ、10月1日から人生初の一人暮らしをはじめた。実家を出てすぐに同棲したから、これまで私は一人暮らしをしたことはなかった。

新しい環境で慣れない仕事をこなし、帰ってくる部屋は段ボールだらけで、生活もままならない。風呂からあがったらドライヤーが無かった。ああそうか、これも買わなきゃならない。仕事終わりだと家電店は閉まっているから、しばらく買えず、自然乾燥で数日耐えた。そんな数日間だった。

愛に覆いかぶさる憎しみと、精神的な余裕のなさからくる周囲へのイラつき。自分がどんどん嫌な奴になっていく感覚があった。苦しい状況は、人を悪い方向へ捻じ曲げてしまう。そのことが更に私を苦しめた。

絶望しながら歩いていた仕事の帰り道、イヤホンで流したCRYAMY。どの曲を聴きたいとか、選ぶ気力もなくて、シャッフルで垂れ流していた。その中で『待月』という曲が、突然ぶっ刺さった。

「正しいあなたをわかってる」
「悲しいあなたをわかってる」

何度も言い聞かせるように歌われる、このフレーズ。私はただ、一人の人を全力で愛しただけなのだ。この憎しみも、懸けてきた時間の重さを考えれば、至極当然で、間違ってはいない。私は本当は良い奴なのだ。私の心の中にある愛や優しさは消えかけていて、でも、小さく小さく灯っていて、そしてそれが本当の私で。

今の私に初めて出会う人は、嫌な私しか、もしかしたら見えないかもしれない。それくらい、短気になっている自分がいたりする。でも、それは今だけで、本当の私はそうではない。今にも消えそうな、小さな小さな本当の私を、この曲は「正しいあなたをわかってる」「悲しいあなたをわかってる」と、強い目でしっかりと捕らえて、離さないでいてくれた。

そしてこの曲の最後の歌詞。

「ただ優しい人に送る
優しいあなたを守ってあげる」

“優しいあなたを守ってあげる”、このシャウト。
崩れ落ちそうになった。

私は、どんなにつらい目にあっても、優しい人でありたい。憎しみの色に染まって、嫌な奴になりたくない。でも、染まってしまった方がきっと楽で、優しくあることは強さが必要で、それができそうにない私がいて、そんな私を私は嫌いになりそうで、全部嫌で。

だけど、優しい私を守ってくれるこの曲があるのなら、優しさを消さないまま、乗り越えられるかもしれないと思った。それくらい、カワノさんという存在は力強く、心強く、優しいまま乗り越えたくなるような力を、このシャウトは放っていた。

私がこの局面を乗り越えて、一人暮らしも自由で良いじゃんって楽しくできるようになって、仕事も軌道に乗って、そのときちゃんと優しい私のままでいられたなら。そして、そのとき、隣にいる友人が、優しさが搔き消してしまうほどの苦しみに直面してしまったら、そのときは、私が優しいその人を守ってあげたいと思う。
音楽ブログなので、人生で一番のどん底で、どの曲を聴いて、どんなふうに救われたか、というのをメインにして書いてきたが、実を言うと、一番支えになってくれたのは、やっぱり人だった。

元々東京に友達はいなかった。彼と結婚生活をするためだけに来た土地。だからこそ、離婚を切り出されたとき、宙に投げ出された感覚になった。

けれど、実際には、ライブハウスで出会ってきた、たくさんの友達が助けてくれた。電話で話を聞いてくれた人、会える時間を確保してくれた人、貴方の書く文章が好きですとただ伝えてくれた人、ライブハウスで待っていると言ってくれた人、飲食店やってるから食べに来てと言ってくれた人、一人暮らしは電子レンジがあればなんとかなる!と教えてくれた人、一緒に住む?と聞いてくれた人。私の精神が崩壊寸前なことに気づいた人たちが、一瞬でセーフティーネットを築いてくれた。

CRYAMYの音楽はセーフティーネットのようになってくれるところがあるが、CRYAMYを好きな人たちもまたセーフティーネットのようだった。楽曲に託された音楽家の魂が、聴き手の中にも受け継がれているのだと、確かに思えた体験だった。なんというか、私の周りにカワノさんみたいな人たちがいっぱい居た。

今、私の周りで支えてくれている人たちは、CRYAMYがいなければ出会っていなかった人たちだ。今、私が立っている場所は、CRYAMYが作ったと言っても過言ではない。CRYAMYは、私の世界を作ってしまった。音楽の中だけでなく、現実に。こんなのもう、伝説でしょう。なんだこのバンド。

この世界でなら、私は生きていきたいと思える。バンドとしての活動がリアルタイムであろうがなかろうが、CRYAMYは私が助けてほしいとき、求めたとき、私に沿うべき期間、絶対的にそこに居てくれたし、これからも居てくれる。それが分かった。綺麗事でも理想論でもなく、本当に。

CRYAMYを本当の意味では理解できなかったはずの私は、“痛みを抱えている人”に、該当するようになってしまった。この経験を乗り越えられる日なんてきっと来なくて、誰かに恋をしたとしても、たぶんずっと、哀しいと思う。傷は事あるごとに痛むと思う。それが苦しい。けれど、CRYAMYの音楽と生きていけることは、ちょっと嬉しい。

『まほろば』の「最後にちょっと笑えるように」って、こういう感覚だったり、するのだろうか。
友人らが駆けつけてくれた日の黄昏
*あとがき

哀しみを分け与えてしまう文章になったかもしれませんが、一人になる=自由度が増すということなので、このサイト自体はどんどん面白くなると思います。リモートワークが可能になったら、全国を転々とする生活をします。

こういう場所でこの曲を聴いたらこんな聴こえ方になったとか、この土地にはこんなインディーズバンドがいるとか、そういう文章を書いていくので、良かったらまた読みにきてください。

文章を介して、私の世界にあなたが巻き込まれて、あなたの世界にほんの少しでも彩りを足せたのなら、私はこれで良かったのだと、いつか思えるようになる気がしています。心が動いたら、どうか私に伝えてください。


追記:どん底だった9月に、何年も前に書いたCRYAMYの記事に対する感想を突然DMで伝えてくださった方がいて、知らない方でしたが、救われました。ありがとうございました。

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